崩壊しているユートピアニズムたる憲法9条、天皇家、保守自民党。幻想にしがみつき、現実的対処を怠る愚行。破綻している現実を見つめる勇気

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動画説明

理想主義と現実主義。
憲法第9条があれば安全とするのは、理想主義というより、お花畑主義ということが最近は市民権を得つつあると思います。かといって、それと憲法をまるまる書き換えるべきだとか、憲法の一部を変えるべきだということとは直結しないことは私は今までも何度か申し上げてまいりました。

なぜならば、憲法というのは、単なる法の精神であり、基本的には直接的に、法的効果を与えないことが多く間接的な法的効果しか及ぼさないからであります。そのため、いろいろな悪法が制定された際や、違法と思われる営業自粛を強制された際など、違憲訴訟が提訴されますが、裁判所はだいたいにおいて違憲かどうかは判断せず、個別法に反しているかどうかを判断するにとどまります。つまり、憲法はほとんどあってもなくても同じような効果しか、裁判に及ぼしていないということです。明らかなに憲法に反すると言える時は、その法律や行政行為が裁判を経て無効とされますが、しかし、それは何も憲法に違反したとされなくても、社会通念上の考え方や、一般慣習、善管注意義務など法の一般原則からも無効を導きだすことができ、憲法がなくてはならないわけではありません。むしろ、憲法は空気のようなものであると言えるかもしれません。

これらの事を踏まえ、加瀬英明さんは憲法問題においては、9条を削除するだけで良いと指摘しました。国家が当たり前に持っている権利をわざわざ明記する必要はないと。伊藤貫さんも、憲法はコモンセンス、共通の価値観のようなものだから、絶対必要なものでもなく、絶対書き直す必要もない。法的安定性から行って、今のものは、ほとんどそのまま使えると言っています。基本的人権の尊重などは、当然の原理としておいておけばよいことなのです。

苫米地英人博士も日本を封じ込めるために押しつけられた憲法9条を逆手にとって、余計な戦争に巻き込まれないための方便にすればよい。9条があるからこそ、常任理事国として平和の主張をすればよいと言っています。そして9条があろうがなかろうが、別に予算は増やせるので、9条は関係ないと言っています。
私はこの3者の意見と同意見であり、法の精神たる憲法は飾りとして、今のままでも良いし、わざわざ書き換える必要はない。書き換えることで改悪されるリスクが高すぎると考えています。現在の押し付けられた憲法をほとんど無効化してしまったのは、もしかしたら日本人の知恵だったのかもしれません。
仮にゼロから文章を書くとしても、今のものをベースとして書き直すにしても、法の精神というものは、それほど明確である必要がありません。詳細は個別法規にかけばいいのです。むしろ、私の主張のように、非常に短い独立宣言を一本、1ページ、世界に対して国民全体の意思として出すだけで十分です。100条以上の条文を書いても、それに賛成反対と、1行ごとにすり合わせられないなら、ほぼ意味がないです。

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