大森望×松下隆志「社会主義のディストピア、資本主義のユートピアーー『われら』光文社古典新訳文庫版刊行記念イベント」(2019/11/7収録)@nzm @takashim2

投稿日時

再生数

99

コメント数

0

マイリスト数

2

ジャンル

その他

この動画は有料です。
視聴するにはログインした後、動画を購入してください。

動画説明

【収録時のイベント概要】
いまから約1000年後、地球全土を支配下に収めた“単一国”では、食事から性行為まで、各人の行動はすべて“時間タブレット”により合理的に管理されている。その国家的偉業となる宇宙船“インテグラル”の建造技師д‐503は、古代の風習に傾倒する女I‐330に執拗に誘惑され……。

20世紀ロシアの異端の作家・ザミャーチン。
その代表作『われら』で描かれるのは、
科学的な合理主義を極端に突き詰めた結果現れる、
全体主義のディストピアだ。
「SFの父」H・G・ウェルズに大きな影響を受けた
ザミャーチンは、いまからおよそ100年前に、
きわめて予兆的な作品を書き上げていた。

『われら』や『一九八四年』と並ぶディストピアものの傑作とされるのが、
オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』。
1932年に発表されたこの作品では、
共生・個性・安定をスローガンとする世界国家が
すべての欲求を管理し、合法ドラッグによる幸福状態を供給している。
ヘンリー・フォードが神と崇められる、資本主義のユートピア。

ハクスリーは『われら』からの影響を否定しているが、
両者は多くの共通点を持つ。
ソ連流・英米流のそれぞれのユートピア/ディストピアは、
どのような関係にあるのか。
その今日的な意義とはどのようなものか。

『われら』の新訳を手掛けた気鋭のロシア文学者・松下隆志と、
2017年に『すばらしい新世界』の新訳を発表した翻訳家・大森望が、
ディストピアSFの系譜を辿りながら、
その現代性や文学史的意義、
ロシア、スラブ文化圏におけるSFの現在に至るまで、
縦横無尽に語りあう。

【登壇者より】
『われら』は今からちょうど百年前、革命後間もないロシアで書かれた小説で、今日ではディストピア小説の古典として知られています。しかし、巨大な「壁」によって他者が排除され、「タブレット」が人間の生活を管理し、人々が「われら(味方)」と「彼ら(敵)」に分断されているという内容は、まさに21世紀の現代にこそアクチュアルな意味を帯びてくるのではないでしょうか。

同じくディストピア小説の古典である『すばらしい新世界』との比較を通して、現代におけるユートピア/ディストピア的想像力の可能性を探っていきたいと思います。
(松下隆志)

社会主義のディストピア、資本主義のユートピア – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20191107/

関連動画