習近平総書記「私は永遠にこの黄土の大地の子だ」

投稿日時

再生数

64

コメント数

0

マイリスト数

0

この動画は投稿( アップロード )された地域と同じ地域からのみ視聴できます。

動画説明

「我は黄土の大地の子」。18年前、習近平氏は自叙伝でこう語った。過去50年間の経験と政治経歴が、習氏の人民中心の思いを伝えている。
 習氏は自叙伝で、「私は15歳でこの黄土の大地にやって来た。その当時は迷いやためらいもあった。しかし22歳でここを離れる時には、すでに確固たる人生の目標を持ち、自信に満ちていた」と書いた。
 「陝北高原は人民の公僕としての私の根だ。私はこの地で育まれた不変の信念をもって、人民のために具体的な行動を取る必要がある!私はどこへ行こうとも、永遠にこの黄土の大地の子だ」
 1982年~1985年、中国共産党正定県党委員会副書記と書記を歴任した習氏が、農村部経済の多様化を図り、農民の増収に全力を尽くした。
 習氏は「習近平総書記の貧困扶助エピソード」で、「県委員会書記になってから、県内に200以上ある全ての村をくまなく回った」と振り返った。
 「農村部でのフィールドワークでは、よく滹沱河を渡った。自転車に乗って滹沱河の岸に着くと、乗ってきた自転車を肩に担いで川を渡るのだ。目的地の人民公社に着いたら、私は彼らのところに一泊する。その頃は宿泊施設がなかったので、公社の書記が彼の事務室とベッドを私に貸してくれた。当時の光景がまざまざと目に浮かぶようだ。苦労もあったが、状況を正確に把握し、末端幹部や庶民との距離を縮め、心の交流を深めることができた。県委員会書記になってから、県内に200以上ある全ての村をくまなく回った」
 1988年~1990年、習氏は福建省寧徳地区の共産党委員会書記を務めた。1989年、寿寧県下党郷でフィールドワークした際、「快適な生活を追求する幹部は、封建時代の官僚にも及ばない」と述べた。
 2003年~2007年、中国共産党浙江省委員会書記であった習氏は、「幹部は人民に利益をもたらすようなことを多くすべきだ」と強調した。
 2007年6月14日、中国共産党上海市委員会書記であった習氏は上海警備区党委員会第一書記を兼任し、黄浦区を視察した際、「必要なのは『雪の中にいる人に炭を送る』ような行動だ。限られた資金は適切に用いるべきであり、上っ面の名声のための工事や、実績のためだけの役に立たない工事などをやってはならない。本当の業績は庶民からの評判の中にこそあるのだ」と強調した。
 2015年6月16日、習氏は貴州省遵義県を考察した際に、楓香鎮の花茂村を訪れた。習氏は温度調整ビニールハウス、党員大衆の家、特産品サービスセンターなどを視察し、村の発展と変化について深く把握した。
 旧正月の元日に当たる2020年1月25日、習氏は中央政治局常務委員会を主宰し、新型コロナウイルス感染症の予防、拡大防止に関する配置を行った。各級の党委員会と政府は党中央の決定と配置に従い、全面的に動員、全面的に配置、全面的に活動を強化し、人民大衆の生命の安全と健康を第一に考え、感染の予防と拡大防止を現在の最も重要な活動として捉えなければならないと強調した。
 今年の全国人民代表大会および政治協商会議の場で、習氏は「人民至上」の理念を複数回にわたって強調した。5月22日、全人代内蒙古自治区代表団の審議に参加した際、「中国共産党の根幹は人民にあり、血脈も人民とつながっている。人民至上の理念を堅持し、人民にしっかりと依拠するとともに、絶えず人民に幸福をもたらし、人民の中にしっかりと根を下ろさなければならない」と指摘した。

提供元チャンネル
関連動画