死は今にも 『徒然草 気まま読み』#100

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動画説明

徒然草気まま読み、スタートして2年、ついに100回到達!
100回を記念して、今回扱うのは、第四十一段。
全文を紹介すると…

五月(さつき)五日、賀茂の競馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雜人(ざふにん)たち隔てて見えざりしかば、各々(おのおの)下りて、埒(らち)の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。
かゝる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう眠(ねぶ)りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあざみて、「世のしれ物かな。かく危(あやふ)き枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死(しゃうじ)の到來、唯今にもやあらむ。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候」と言ひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。
かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

ひとつ間違えれば死にかねない危険なことをやっている人を見て笑っている人達に、死を人ごとのように思って、一日が平穏無事に過ごせるものと思ったら大間違いだ、死は誰にも、今すぐ訪れてもおかしくないものなのだぞと諭す兼好。
何度も『徒然草』で繰り返される死生観だが、この段で面白いのはここから。
諭された人の態度や、その人たちに対する兼好の見方などが、いずれも味わい深い。
そして、言われてみなけりゃ気づかない、ちゃっかりした話だったりもする。

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