貝塚クリエイターズ・ファイル 「明治の貝塚を生きたYoutuber」

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動画説明

昔、クラシックな空想科学小説の挿絵や、サイエンスフィクション映画の画面。プラモデルの箱のイラストや、漫画雑誌の二色ページのグラビアの中で、未来はまだほんのりとバラ色を帯びていた。
超高層ビルが連立する都市空間、空中に張り巡らされた透明チューブの中のベルト式遊歩道。いかにもロボットらしいロボットが空中都市を確保し、エアカーが宙を飛び交う。ビタミン剤やチューブ入り宇宙食の食事の後、子供達は壁面に映し出されたテレビ電話で授業を受ける。
あのオプティミスティックで楽観的なおきらくな未来達。タイムマシンやメトロポリスのピカピカな未来。
何処へ行ってしまったのだろう、幼い日に見たあの明るい未来達。
まだ幼い僕は、あの時未来の中にいた。あれはまさに木たるべき未来の予告編に見えたのだから。
幼い日のアルバムを開けば、万博会場で笑う少年の写真、その瞳の中に、あの「有り得なかったもう一つの未来」が確かに映し出されている。もしもあのまま高度経済成長が終わらなかったら、上昇グラフの折れ線棒は果てしなく上向きに上り続けていたら
しかし、少年の瞳が本当に見たのは、公害、ドルショック、浅間山荘、オイルショック、ICBU、チェルノブイリ。いつの間にか僕らは未来を見失ってしまった。
明るい未来像は決定的に打ち砕かれた。
核の時代に未来を空想する事は廃墟をイメージすることだ。酸性雨の降りしきる暗くかすんだ核戦争後の廃墟でレプリカントの蠢く絶望的に退廃した未来。しかしそんな廃墟さえも僕らは消費しつくしてしまったようだ。ブレードランナー、マッドマックス、AKIRA、SF映画の中で何度地球が滅びた事だろう。未来はもはや過去のもの。僕らはいつの間にか未来を追い越してしまった。
レトロフューチャー、セピア色の懐かしい未来。しかし、未来が懐かしいという言葉さえもはや懐かしい。
後戻りはできない、僕らはもう気づいてしまっている。未来は無い、元々未来なんて無かった。あったのは未来という言葉でありそれはイメージだけ。未来は無い、ただこれからの現在があるだけ。イメージに固執する事は、現実や歴史の変化に対して、自らを閉じる行為に過ぎなかった

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